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平成の記憶 イタイイタイ病資料館前館長が語る 【2019/04/25 18:24】 

 シリーズ平成の記憶。

 今週は、県内の天皇陛下ゆかりの人々が語る様々な証言をお伝えしています。

 3回目の25日は、イタイイタイ病資料館で陛下をご案内した前の館長・鏡森定信(かがみもり・さだのぶ)さんに話を聞きました。

 両陛下と交わしたやりとりは、鏡森さんが、公害病と関わってきた自分自身の半生を見つめ直すきっかけになりました。

 平成27年10月。

 天皇・皇后両陛下はイタイイタイ病資料館を訪れました。

 このときお二人を案内したのは、当時、館長を務めていた鏡森定信(かがみもり・さだのぶ)さんです。

 「終わってから、ご質問などでお呼びになることがあるかもしれないからここで待機するようにということで/意外だったのが、館長だけ来なさいということだったので」(鏡森さん)

 「こんな感じで。館長でございます」(鏡森さん)

 Qどちら側にお座りになった?「天皇陛下はこちら側、皇后はこちら側」(鏡森さん)

 部屋にいるのは、両陛下と鏡森さんの3人だけ。

 お二人からちょうど、真ん中の位置に座りました。

 Q陛下からはどんな質問がきた?『開口一番は、「金沢大学では大変でしたね』というのが最初の言葉でしたね」「金沢大学というのはご存知のように、反対派と壮絶なことをやったわけですから、三井もそこに入って三つ巴でね」(鏡森さん)

 「これ痛いね。痛い?」(資料映像音声)

 「痛い、痛い」と患者たちが叫んだことから名づけられた『イタイイタイ病』。

 当時、神通川の上流にある、岐阜県・神岡鉱山では、三井金属が国内のほぼ半分にあたる量の亜鉛を生産していました。

 その亜鉛の精製過程で出るカドミウムが「イタイイタイ病」の主な原因とされています。

 医師である鏡森さんは、母校・金沢大学の学生時代から、イタイイタイ病の治療・研究に関わってきました。

 当時、イタイイタイ病研究の中心は金沢大学でした。

 しかし、大学内では病気の原因について、神通川に流れ出たカドミウムと考えるグループとそれに異議を唱える反対派とで意見が分かれていました。

 患者側と企業側。

 それぞれの利害を代弁するかたちで論争が長く続いたのです。

 「そのときに皇后が、その心はということだよね、「物事には光と影がございますからね」と仰った。

 /立場が全く違う人たちが出てくるということですよね。

 だから難しいと私は理解しました。

 光と影だから分かれるんだから。

 しかし。

 その二つがないと物事の実態は存在しない」(鏡森さん)

 国の発展が『光』だとしたら、イタイイタイ病は『影』。

 大企業が牽引した経済成長の影で、患者たちは原因不明の奇病で苦しんでいたのです。

 「今は持続的な発展という良い言葉で上手く言いくるめてますけど、それはそんな簡単なものではなくて、やはり『光』と『影』なんですよ」(鏡森さん)

 その後、イタイイタイ病の治療法などについて質問を受けたあと、両陛下から、ある提案があったと言います。

 「資料館として、考えなきゃいけないことがありますねと仰ったんですよ。スペイン語とかポルトガル語とかあるといいですねと仰ったので」(鏡森さん)

 言葉の真意を計りかねた鏡森さん。

 すると・・・「天皇がブラジルのことなどもあるからねと仰ったので、そうか途上国のことを言っておられるのだと分かって」(鏡森さん)

 かつて、日本国内で起こった公害は、今、途上国で同じように起きています。

 このとき、資料館は英語や中国語などの案内に対応していましたが、公害の教訓をより広く世界に伝えるために、天皇陛下は英語・中国語に次いで話す人の多いスペイン語やポルトガル語の対応を求めたのです。

 わずか10分の会話。

 しかし、鏡森さんは自らの覚悟が問われた特別な時間だったと言います。

 Q平成の象徴はあの10分間ですか「私にとってはね。全体ひっくるめても、あれ以上の経験はないですもんね。/イタイイタイ病を考えるときに、私自身がそこまで考えてやっていたのかという反省も含めてね。さっきの英語も含めてですよ。本当に光と影を正確に伝えているのかということも含めてね」(鏡森さん)

 そして、現在。

 イタイイタイ病資料館では、スペイン語とポルトガル語を加えて、8か国語で公害の悲惨さを伝えています。

 鏡森さんは、両陛下の言葉の奥に、お二人がイタイイタイ病を深く理解し、患者やその家族の痛みに寄り添う心が感じられたと振り返っていました。